トンネル開通。

先日、母の事があり阿蘇に帰って来ました。

熊本地震により寸断されたJR、国道57号線の影響で観光地としての阿蘇は依然と比べものにならないほど人が少ない町になっていました。最近では、コロナウィルスの影響も大きく、阿蘇の町でも閉店してしまったお店、閉鎖してしまった施設等が少なくはありません。自分も帰る度に、道の駅や特産物売り場によって少しでも手助けとまではいきませんが物を購入しています。その道の駅も、平日はもちろん、土日祭日でも人はまばらでさみしい感じが続いていました。   ですが先日、いつものように道の駅に立ち寄ったら多くの人で活気がある状況がありました。GOTOキャンペーンの影響もあるとは思いますが、震災で迂回ルートとなっていた57号線のトンネル工事が終わり10月3日に開通したとの話を聞きました。このトンネル開通により阿蘇へのアクセスはとても便利になりました。自分も早速、帰りに通行して来ました。全長は、3659メートルで、きれいで明るく気持ちよく通り抜ける事が出来ました。これまで阿蘇の人達も不便な思いの中、頑張って来られました。このトンネルの開通でたくさんの方達が、訪れてくれる事を願います。もちろん、コロナウィルス感染対策は、一人一人がきちんと行って震災、コロナウィルスの影響から復興して行ってほしいと願います。

 

 

 

少しずつ、

熊本地震からもうすぐ4年が経過します。今年は、57号線も新しいトンネルの開通と同時に通れるようになりますし、阿蘇大橋に代わる新しい橋も開通の予定です。そして、ずっと昔から阿蘇を守って下さっていた阿蘇神社の再建も進んでいます。当初は10年以上かかかると言われていた工事期間も、残す楼門が2023年の12月頃には終える事が出来る見通しとの事、小さい頃から見ていたあの姿をまた一日でも早く見られるように祈っています。

昨年から阿蘇に戻るようになって100回を超えました。その度に、その季節ごとのいろんな風景を見せてくれています。野焼き、新緑の草原、紅葉、雲海、雪景色と・・・。

でも自分には気持ちの余裕がなくてゆっくりその景色を見ることが出来ませんでした。写真は先日、阿蘇に戻った時の自分が大好きな阿蘇五岳(涅槃像)を写した1枚です。しばらく車から降りて見ていました。「頑張れ」と言ってもらってる気がしました。

がんばれ熊本、頑張れ阿蘇、頑張れ皆さん、

頑張れ母さん。

もうすぐ復旧。

最近は、両親の事があり頻繁に阿蘇に帰っています。

熊本地震から国道57号線が通れなくなり熊本インターから57号線を通って阿蘇に帰ろうとすると迂回ルートを通って30分、渋滞になれば1時間以上、地震前より時間がかかってしまいます。その為、今は日田から杖立、小国を抜けて大観峰から下って実家に戻っていました。

先日、父の転院の関係で久しぶりに57号線を通って熊本市内へ運転をしました。道は変わらず迂回ルートを通行しましたが途中に、その迂回ルートの外輪山の真下を貫くトンネル(総延長3.7キロメートル)の工事がかなり進んでいるのを感じました。調べてみると20年に開通する予定との事でした。また、斜面の大規模な崩落で通行止めになっている57号線も、20年度内に開通するとの事です。また、崩落した阿蘇大橋に代わる橋も20年度に完成する見通しとの事。

迂回ルートは整備されていましたがやはり渋滞や利便性が悪く、観光客も年々、少なくなって行くのを感じていました。来年、多くのものが利用出来るようになれば、また震災まえの阿蘇に戻って行けると思います。がんばれ熊本、頑張れ阿蘇、頑張れ熊本の皆さん、頑張れ阿蘇の皆さん。

頑張れ父さん、頑張れ母さん。

 

あれから3年。

熊本地震から3年が経ちました。

自分の実家のある阿蘇内牧の地区は、あの地震が残したいろいろな爪痕は、ほとんどわからないくらいに復興していると思います。でもこれは、あくまでも見た目だけで、今でも仮設住宅で生活している方達もいらっしゃいますし、自分は、たまに帰るだけでそこで生活しているわけではありませんから、あの地震から変わった阿蘇での生活や状況をわかっているわけではありません。波打ったり、陥没したりしていた道路は、修復され傾いていた家は、なくなってきれいになっていても、あの地震が阿蘇を変えてしまった事は、消えません。

自分の大好きな阿蘇の山々は、今でもあの日の地震を忘れさせないように崩れたままの山肌を見せています。そして阿蘇山も、地震を忘れさせないように4月16日に小規模の噴火を起こしたのではないのかなと思っています。通れない橋、通行止めの道、元の姿を取り戻せずにある建物、まだまだこれからです。

 

       がんばれ阿蘇、頑張れ熊本!

2018、夏。

お盆休みを利用して阿蘇に戻って来ました。

前回は、野焼きの後の阿蘇の風景を見て、福岡に戻りましたが、今回は、5月の芽吹き、梅雨を越えて、緑色の草や樹木が元気よく迎えてくれました。熊本地震、その後の大雨で被害を受けた阿蘇の自然や風景は、ずいぶんと元の姿に戻ってきたように感じました。

阿蘇に帰省する時には、日田~杖立~小国のルートで帰ることが多いのですが、大雨や霧が出でた時、また雪の日など市内~大津~赤水へと57号線のルートを通ります。その道の途中で踏切を一つ渡ります。この踏切を渡る度に、地震が起きた事を実感します。今、現在も肥後大津駅~阿蘇駅間は、列車は走っていません。渡る度に、列車が走っていない線路は、どんどん草が生い茂り何か生命感のない寂しい感じがします。この線路にまた前の様に列車が走っている風景を見れる日が一日でも早く来てくれる事を願います。

この線路に、また列車が走り始めたら、元気な阿蘇が戻ってくる感じがします。

がんばれ熊本、がんばれ阿蘇!

ふるさと阿蘇。

先日、ふるさとの阿蘇に戻って来ました。

2月、3月と忙しく帰ることが出来ずにいたので久しぶりの感じでした。

戻って見ると「野焼き」が終わった後でした。毎年、阿蘇は、草千里のほか、北外輪山周辺など1ヶ月ほどかけて「野焼き」が行われています。「野焼き」の跡は、山肌は真っ黒になっていますが、しばらくすると新しい芽が息吹き、すぐにきれいな緑の草原が広がっていきます。

今回は、真っ黒の山肌を見ながらふるさと後にしましたが、今度、阿蘇に戻る時には、きれいな緑の草原を見ることができると思います。

        がんばれ熊本、がんばれ阿蘇!

2018年、ふるさと阿蘇。

2016年4月14日、16日に発生した熊本地震から2回目のお正月を迎えました。

自分の実家の近くの壊れた建物の解体、撤去もほぼ終わっていて陥没した道路なども、小さな道を残してきれいになっていました。それでも、解体されずに残っている建物、波打ったままの道路、そして壊れたままの墓石など、地震の爪痕は、あちらこちらに残ったままです。

この写真は、阿蘇五岳の2018年1月3日の写真です。知ってる方も多いと思いますが「阿蘇五岳の涅槃像」といわれる山々です。この写真は、自分が毎日通っていた通学路から写したものです。自分は、この山々、風景が大好きでした。小さい頃も、学生時代も、熊本を離れてからも帰省するたびに、この山々を見て力をもらっていました。あの地震以来、「涅槃像」と言われている顔の部分の形が変わってしまって、山を見るたびに地震が起きてしまったことを思いだします。

それでも、形は少し変わってしまったけれど、今年もこうして阿蘇の大地を見守ってくれていました。

がんばれ熊本、がんばれ阿蘇!

ふるさと。

先日の大雨の心配もあって実家に戻ってきました。

大きな被害は無くて一安心でした。

いつも阿蘇に帰る時は、日田から杖立を抜け、小国を通って大観峰から下って阿蘇に入ります。今回は、日田、小国共に大雨の被害がテレビ等で伝えられていたので、九州道を利用して、57号線を通って大津まで、そこから先の57号線は、まだ通行止で通る事が出来ないので、外輪山の方に周り道をして阿蘇に入りました。その道中に、地震で出来た断層の跡を見ることが出来ます。その大きな断層は、大観峰の麓から一直線に南阿蘇まで続いている感じです。またその周辺にも、枝分かれしたように、広がった断層の跡があります。

その断層にそって家が倒壊したり道路が陥没したりしています。田んぼの中に走った断層は、水田として米作りが出来ない状況になっています。それでも、先月からその田んぼの改修工事がはじまっているようです。田んぼの整理、水を貼る為の水路の整理等、また、もとの様に、米作りが出来るようになるには、どれだけかかるのかわかりませんが、頑張ってほしいです。

 

ふるさと。

休みを利用して実家の阿蘇に戻って来ました。

両親の事もあり、月に一度は、阿蘇に足を運ぶようにしています。

熊本地震から1年と2ヶ月が経過しましたが、まだまだ復興の途中です。

それでも、少しずつですが、確実にもとの生活、風景を取り戻すように熊本はがんばっています。

 

建物を作る仕事をさせてもらっているにも係わらず、直接何もすることが出来ていない自分自身に、何とも言えない思いで、いつも変わってしまった阿蘇の風景を見ています。

 

大好きな阿蘇の山々の風景が、少しでも早く本当の姿を取り戻すことが出来るように、これからも自分に出来る事を探して、阿蘇に戻って行きたいと思います。 

緑 義文